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いきがいさがし

下ネタばかり書いてるおっさんです。

自転車のサドルを盗まれた話

本日は仕事の所用で、市役所に会社の自転車に乗って行きました。ほんの数分の所用が済んで自転車の所に戻ると、何と自転車のサドルだけが盗まれていました。

まったく油断も隙もない。ちょっと目を離しただけでサドルが盗まれるとは。ちなみに私が住んでいるのはかなりの田舎なので、日ごろは自転車に鍵など掻けませんし、それで盗まれたことも一度もありません。なのに今日に限って、よりによってサドルだけだなんて。

困ったことにサドルが無いと自転車に乗れないし、会社の自転車だから怒られてしまうじゃないか。あまりに腹が立ったので、隣の自転車のサドルを盗んでやろうかとも思ったのですが、ここは市役所だから誰に見られているか解りません。

そういえば近所のゴミ捨て場に廃棄自転車が転がっていたのを思い出し、それからサドルを外して取り付けるかと、とりあえず会社に向かって立ちこぎで自転車を走らせました。

 

自転車のサドルって自転車の数より少なくない?

私は前々から考えていたのですが、自転車のサドルって日本中の自転車の数に対して、何個か少ないのではないかと思うのです。

私が自転車のサドルを盗まれたのは一度や二度じゃなく、その度にボロい廃棄自転車のサドルを取り付けたりして凌いでるのですが、しばらくするとまたサドルだけ盗まれてしまうこともあります。

サドルを盗まれた人の中には、すぐに隣に止まってる自転車のサドルを盗む人もいるだろうし、また盗まれた人も隣のを盗んで、また次も盗んでという負の連鎖が起こっているような気がするのです。

金は天下の回り物と言いますが、自転車のサドルこそが天下の回り物であり、盗まれても「ああ、順番が回ってきたか・・・」くらいにしか感じなくなってしまいました。だから自転車のサドルだけを、もっと世の中に流通させたらサドル窃盗のスパイラルも収まって、自転車ユーザーはより平穏無事な生活が送れると思うのです。

サドルの数が少ないのは自転車だけではない

椅子の数が足りないと言えば、私が小学生の時に、お楽しみ会で「椅子取りゲーム」という遊びが流行りました。ゲームに参加する人数よりも1,2個少ない椅子を、音楽が止まった瞬間に奪い合うという過酷なゲームで、椅子の取り合いで弾き飛ばされ永ながら、子供ながらにゲームを通じて弱肉強食の原則を学びました。

しかしながら、大人になると社会はもっと厳しいことを知りました。椅子取りゲームは一人で一つしか椅子は取れませんが、社会では力のあるヤツは3つも4つも椅子を取り弱いヤツは空いてる椅子さえ取れないという厳しい現実を目の当たりにしたのです。

男女のことに言い換えれば、モテるヤツは二股も三股も掛けるけど、私のようなダサいヤツは、彼氏のいない女にさえ相手にされないし、ろくに口も利いて貰えなかったのです。それどころか、何かの弾みで彼女が出来たりしても、すぐさま私イケてるヤツが現れて、あっと言う間にさらって行ってしまうことも珍しくありませんでした。

子供の頃の椅子取りゲームだと、座ってる椅子は絶対に自分の物だったのに。

 

今座っている椅子も、いつまでも自分のものとは限らない

幸いにも今現在、私は妻と娘と、そこまで立派ではないですが、それなりに座り心地のよい椅子に三人で支えあいながら座っている状態です。 

でもこの三人で座っている椅子も、ずっと変わらずいつまでも座っていられるとは限りません。誰かの健康が損なわれたり、私が仕事を失い経済基盤が失われたりしたら、あっという間に、ポキリと足が折れてしまうような脆弱なものです。

私たちに問題がなくとも、最近多い訳の解らん事件事故に巻き込まれるなどの外的要因、極端に言えば、いきなりミサイルが飛んできて何の前触れもなく粉々に吹き飛んでしまう可能性も0ではありません。幸せとはけっして当たり前ではなく、とてもありがたくもっと感謝すべきものなのではないでしょうか。

それだけに私に今、帰る場所があり座る椅子があることに心から感謝して、またこれからも一生懸命、一家の主として父親として椅子の足を支えるために頑張ろうと、変な体制で立ち漕ぎしたせいで足腰がガクガクになり朦朧とした頭で考えました。

自転車のサドルのありがたさを感じながら。